人生の縁側の陽だまりで出会った素晴らしき人や関わった猫。絵画作家 香本博の 日常と制作の狭間での心の樹海


by art-komoto
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<   2006年 10月 ( 7 )   > この月の画像一覧

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ミーと私は18年近く共に生きた。
最後まで、2階で眠る私を起こしに
急な階段を、朝登ってきた。

血液中の酸素を送る物質が不足し
時折体をばたばたと痙攣させた。
心配なので地元の病院で
点滴のビタミン補給で入院させていた。

吉祥寺の個展の2日目だった。
その日、西武秩父駅に向かうときに
病院から電話があった。
よもや・・予感があった。
ミーが危篤状態・・。
容態を聞くと、来られるまで間に合うかどうか・・
すぐさま病院に向かった。

ミーは日中なのに瞳孔が開き
死の影の匂いがしていた。
私が声をかけると叫んだ!
ミーのアクションが医師に気づかせ
電車に私が乗る前に
この日に自宅に帰化できるように
したのだと思う。
ミーが私たちを呼んだのだ。

自宅近く、車から降りたミー
もう意識(何を言ってるかわかる)はないと思いますよ
そう医師は話していたが
自宅に、我が家のある地に
戻ってきたのだということを匂いで嗅ぎ分けた。
ミー君!ミー君
二人で呼びかけた。
すると、まさにミーの目が治った。
開いたままの瞳孔が
もとの日中の瞳に戻ったのだ。

帰ってきたよ
お前の家に帰ってきたよ
私はミーを広い部屋に寝かせ
薪ストーブをつけた。
大好きだった薪ストーブの近くだ。
暖かい空気
燃える火の色の優しさ
木のはじける音楽
いつもミーは心地よく幸せそうに眠った。
ここだよ、ミー君。

パートナーが、ミーの好物だった食材を
手当たり次第に買ってきてくれた。
そして呑み込む力のない口への
スポイドも探してきた。
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薪のパチパチという音に
耳を動かせて反応させていた。
また瞳孔が開こうとする。
大声でミーに呼ぶ!
また目が戻りかかる・・
闘っている・・こいつは今
一生懸命、まさに命がけで闘っているのだ!
体が痙攣する
牙を剥いて唸るミー。

時折口をぱあっと開けたままにする
水をスポイドでやる。
飲んでいる・・まだ飲む力がある。
鱈のかけらは口にしないが
甘エビを指でつぶして口に押し込む・・
わずかに呑み込んだ。
美味しいか?ミー。
元気になってくれ!生きてくれ!

やがてパチパチという薪の音にも
ミーの耳は反応しなくなった。
ミーはのけぞっていた体を丸めるようにし
厳しかった目は眠るようにやすらかになった。

体に半分かけていた布団を開けると
大量の大便をしていた。
ちゃんとした、ゆるくない普通の便だった。
断末魔の今、いったいどこにそんな力が潜んでいたのか。
家に帰って
大好きな自分の居場所に横たわって
安心できたのだろうか。

暖められた空気の中で
ぐっすりと眠るように
2006年9月16日午後1時15分
ミーは逝った。
大往生だった。

最後まで闘ったミー
生きることを、生きざまを
私たちに見せ付けてくれた。
私たちは頬に流れる涙も拭かず
ミー君に感謝の杯を交わした。

家の庭の見晴らしの良い場所に
ミーを眠らせた。
記念樹に明るい黄色のアカシアの樹を植えた。
周りにも彼岸花の球根や百合などを植えた。
やすらかに土に帰っておくれ。

私は胸の痛みを感じていた。
病院から出て車に乗り込む前に
抱いていたミーが私の乳首を噛んだのだ。
意識が薄れる中で
私を噛むことで必死に自分と闘っていたのか。
あるいは私を体当たりで求めていたのか。
遅いぞ、この野郎!ということなのか。

いずれにしても
必死に生きていくことへの
ミー君のメッセージだったと思う。

ミー君は、こうして書いている私の
部屋の窓から見える場所に眠っている。
私の心に開いてしまった大きな穴は
なかなか塞がらないだろう。
でもミーは、私の絵を踏むことは無かった。
資料を汚したり、パレットの上を歩こうとしたことはあっても
留守中でも絵を汚したことは一度も無い。
よく餌をねだるミーだったが、絵画制作中は
近寄りもしなかった。

ありがとう、ミー。
今の俺を笑っちゃうよね。
こんなに弱い俺を。
絵を描く俺の背中をずっと見ていたミー。
何度も描かせてくれたミー
ありがとう。

ありがとう
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by art-komoto | 2006-10-29 08:54 | Cat 猫 ネコとの縁 | Comments(0)

06 ミーの生きざま 2

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幼い頃飼っていた猫が交通事故で死んだトラウマから
再び猫を飼うことに私は二の足を踏んでいた。
とりあえず里親が見つかるまで預かるという条件で
その幼猫を夜に連れ帰ったのだった。

風呂場で洗面器にぬるめのお湯を作り
まず体を洗ってやった。
すると尻のあたりから血が出ているではないか!
これは病気の猫だ!感染したのだろうか!

洗い落とした液体の匂いは血ではなく
なにか覚えのあるものだった。
そうだ!焼肉のタレだ。
こいつは生ゴミと共に捨てられて
タレが付いていたのだ。

私は急に、この小さな命が可愛そうになった。
でも飼う気にはなれなかった。
その後たくさんのバスタオルで体を拭き
乾かして、ミルクを与えた。

目を離したときに畳に粗相をした。
新聞紙は置いてあったが、
飼うつもりもなく、急な展開だったので
無論ネコ用のトイレも砂もなかった。
今考えると 粗相と言うよりわからなかったのだ。
でも当時の私は、掃除しながらそのことで怒った。
猫はドアに駆け寄り外へ出たがった。

そうか、出たいのなら出れば良い。
連れ帰ってやったのに
洗って綺麗にしてやったのに・・
他が良いなら、お前の自由にしろ
そのかわり、もう入れてやらないからな!
俺は元の生活に戻れる。
...してやった
...してやる
今は最も嫌いな言葉、最も嫌いな考え方だが
当時の私は、今より醜かった。

ドアを開けるとすぐさま幼猫は出て、階段を下りた。
私は”せいせいした”という気持ちと
小さい命を見捨てたような苦い思いを感じていた。
ドアは、スニーカー片方を挟んで
完全には閉まらないようにした。

うつらうつらして
10分から15分おきくらいにドアに近寄ってみた。
ドアの近くの部屋に休んでいるかも見た。
けれど何時間も あいつは帰ってこなかった。
12時になるようになって
私は、このままドアを半開きにするのは物騒だと思った。
もうこれだけしてやったんだ
帰る気があるなら、とっくに戻っている
俺より良い人に拾われた方が、本当に飼ってくれるし
幸せだろうよ。
私は自分に言い聞かせるようにして
ドアをしめて布団の中に体を埋めた。

急に寒さから起き上がった。
寝てしまった。
思わずドアを開けた!
・・・やはりいない・・・心配する俺が馬鹿なのか。
閉めようとしたその時
ミー、ミー
か細い声が足元で聞こえた。
見上げる幼猫の鼻水は凍っていた。
2月の午前2時頃だった。

私はその猫を抱きしめた。
パジャマの胸を開けてその中に入れてやり
一生お前の世話をするよ
もう二度と出したりしないと心に決めた。

私のぬくもりの布団に入って
すやすやとその小さな命は眠った。

私はその猫に、ミーという名前を付けた
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by art-komoto | 2006-10-28 09:37 | Cat 猫 ネコとの縁 | Comments(0)

05 受け留めて

踏み切りで待っていた。
予定に無い特急列車が暴走してきた。
私の前に倒れこみ、
私は気を失った。
そうしたことが4回続いた。

田んぼで共に作業した俵さんの突然の死
18年近く共に生きた愛猫ミーの死
喜多八の加藤勝之さんの死
そして恩師棟梁、山中隆太郎さんの脳梗塞の突然死

暴走列車は あまりに早すぎて
あまりに大きすぎて
あまりに重過ぎて
あまりに強すぎて

とうてい
わたしの力でも
私の精神でも
受け入れることは出来ない。

ただ何度も何度も
大ハンマーで殴られた衝撃が
私に中で
リフレインしている。

悲しみに沈んでいてはいけない。
答えはわかっている。
死んだ彼らも喜ばない
答えはわかっている
そう
頭では何をすべきか
何をすべきでないか
わかっているのだ。

でもまだ、横丁を歩いていると
ひょいと出くわす感じがする。
朝階段を登って
いつもの鳴き声で起こしにくる気がする。
絵はできたかいと電話が来そうな気がする。


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死というもの
どんな高慢な人間でも、
世界中の富を持ってしても征服できない
死というもの

その現実は少しも変わっていない。

人は おぎゃあ と産声をあげて
若さを喜び
鹿のように跳ねて
出逢いがあって人を愛し
家族を持ち
歳月を重ねて歳をとり
やがて死んでいく

到着点が死なら
人は 死ぬために産まれたのだろうか

でもその現実の前に
立ちすくんではいられない。
生きている私は
本当の意味で
生きていかなくてはならないのだ。

生きるとは
食べて体の循環を保つだけではない。
生きるとは
道を歩くことだ
歩き続けることだ
先に何が待っているかが重要なのではない
大切なのは
どう歩むかなのだ

受け留めよう
暴走列車を
受け留めよう
突然なってしまったメモリーを

列車から投げ出された
大勢の預かりもの
記憶の数々を
優しい時間の中で
組み立てるのは
まだまだ先かもしれないが

生きていこう
道を
歩いて行こう。
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by art-komoto | 2006-10-26 06:32 | Life 日々生き様 | Comments(0)

04 パートナーの手術の朝

人間は一人でいることは良くない。
助け手 補うものとして女性(エヴァ)を創造した・・
これらは創世紀の記述だ。

私は亭主関白も
ウーマンリブもきらいだ。
どちらが上か どちらが勝っているかの議論は
家を作るのに、のこぎりが必要か かなづちがより必要かを
熱弁する愚かと同じだ。

女は感じ、男は考える という言葉があるが
それぞれ特性が異なり、
ゆえに互いを支えあうことが出来る。
私にとって連れ添ってくれる女性は
”うちのやつ”でも”おい”でも”うちの愚妻”でも”家内”や”奥”でもなく
人生のパートナーなのだ。

その彼女が 子宮癌の疑いから
今朝(10/11)手術することになった。
貴方はわたしの鼓動だ。
なんとか成功して わたしの”家”に帰ってほしい。

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今朝目が覚めた4時半は暗闇だった。
5時20分に東村山駅へ歩いて向かう空を焼く朝日
白む車窓からの空は
静寂から開始への序曲だ。


手術は無事成功した。
そして私のもとへ パートナーは帰ってきてくれた。
2週間後に切除したものからの検査結果が出て
今後の処置が決まる。

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私はきっとこの日の朝の
肌に貼り付く冷えた空気と
焼けた空を忘れないだろう
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by art-komoto | 2006-10-11 07:06 | Life 日々生き様 | Comments(0)
秩父の番場町にある老舗
天ぷら屋 喜多八

そこを知人の紹介でを知ったのは6年近く前だ。
大豆油や胡麻油を使わないから胃にもたれない
野菜などもからっと揚げる
近頃は多くの天ぷら屋さんが、ボリューム重視で
海老はブラックタイガー・烏賊(イカ)はモンゴイカを使うのに
ここは味を重視・色を重視しているから使わない
特にイカはするめイカの甘みを感じる。
ごはんも美味しい。

紹介されて来店した人は
千葉や東京からも
必ずリピーターとなる。
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でも私がこの店を書くのは、単に味のことではない。

秩父は夜7時前になると
ガラガラとシャッターを下ろす音がする。
見知らぬ地での”異邦人”だった私は
当時住んだアパートで黙々と絵画制作して時折行き詰る。
喜多八さんが電話をくれたりする。
でももう10時近く・・喜多八も閉店の時刻だ。
遠慮する私に 『いいよ、来なよ、何かあるから。』と
快く"旅人"を迎え入れてくれたのだった。

香本さんの絵は印象が強いなあ
いい色を出しているよ
などと評してくださった。

病院でこの1年ほどずっと闘病生活をして
9/12に旅立ったが、以前から奥さんが店を守り
時々娘さんが手伝いに来る。
二人とも美人で店を明るくしていて
居心地がすこぶる良い。

旅人も異邦人も
この地に居を定めた人も
この地で生まれた人も
喜多八は
マスター亡き後も
引き続き『心の休み処』となっている。
私はそう信じている。

もっと私の絵を観て評してほしかった
勝之さん、本当にありがとうございました。

旅人は住人となりました。

喜多八(きたはち)
秩父市番場町13-10
西武秩父駅から秩父神社へ歩く途中にあり(約12分)
定休日 月曜日
電話 0494-22-0375
蕎麦は繊細なもの 要予約(当日不可)
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by art-komoto | 2006-10-10 11:52 | People 人との出会いは宝 | Comments(0)
昨日、ひとりの巨人が脳溢血で逝った。

山中隆太郎(やまなか りゅうたろう)

秩父在住の建築家であり
黒澤明の映画『八月の狂詩曲』の影の主役
とも言える家(オープンセット)を作った人。
銀座の秩父錦や珈琲道ぢろばたなど
数多くの名作をデザインし制作した作家。

秩父を愛し、武甲山を愛し、樹を愛し、
家族と人を愛し
芸術を愛した。

私の個展を何回も観てくださり
岡山の個展まで駆けつけてくれた。
自作の額縁も無償で制作していただいた。
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13年前に父を亡くした私にとって
秩父の父親のような人。
自画自賛せず
過去の栄光に固執せず
常に新しい風を愛した。
私の絵も そう評価してくれた・・
でも厳しかった。
軽く見える・・時にはそう評した。

12月の銀座の個展を
来年9月の沖縄の個展を
心から楽しみにしてくれていたのに・・
恩返しのまねごとの一つさえ出来ぬまま
逝ってしまった。
本当にごめんなさい。

自宅で眠る山中隆太郎さんの顔は
あまりに安らかで
幸せそうな笑顔にさえ見えて
『なんだ、香本さん来てたのか。絵は出来たのか?』
と起き上がってきそうだった。
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昨日 秩父は終日強風だった。
晴天の深夜の空は
ひっそりと美しい群青色に染められていた。
どっしりと武甲山のシルエットが
勇壮に浮かび上がって見えた。
山中さんが自分を見ているように見えて
立ち止まった私に熱い想いが込み上げてきた。
作家 山中隆太郎は
まさに そのような巨人だった。
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by art-komoto | 2006-10-09 09:20 | People 人との出会いは宝 | Comments(1)

01  ミーの生きざま

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2006年9月16日午後1時15分
18年近く生きた飼い猫のミー君が亡くなった。
潔(いさぎよ)い死だった。

約18年前・・
ミーは産まれて間もないような様で
銀座の生ゴミと共に捨てられていたのを
女性が見つけて連れ帰った。

LDを借りに小平市のビデオ店にいた私は
銀座から帰った店長の奥さんに抱かれた
ミーを初めて見た。
里親になってくれないか?
もちかけられた私は、即答で拒否した。

小学1年生の頃、私は墨田区の錦糸町の
アパートに住んでいた。
寝小便をしてしまった記憶と共に
想いだすのは、
泣きながら錦糸公園そばに
母親と共に墓を作って
タマを埋めたことだ。

家族一人ひとりの足音を聴き分ける
賢い野良猫を飼っていたのだが、
アパートの前で、3輪の自動車にはねられて
死んだ。
もう飼うまいと思った。
心を寄せたものの死
受け入れたくない苦しみ
幼い心にトラウマとして刻まれた。
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by art-komoto | 2006-10-08 10:59 | Cat 猫 ネコとの縁 | Comments(0)